miércoles, 2 de mayo de 2012

基本に戻る―あるアイマラ語の言語学者の軌跡―

1.図書館で資料を読み進める

ボリビア中部のコチャバンバという街に、私が所属するカトリカ大学のBiblioteca Etnológica Boliviana "Antonio de la Calancha"というアイマラ語やアイマラ文化を中心とする資料が所蔵されている図書館を調べに来ています。期待したほどには新しい資料はなかったのですが、それでも知らなかった資料を読みながら考えを巡らすことは、いろいろと役に立つことを実感します。

この図書館が所蔵する珍しめの資料は、カトリカ大学の紀要Ciencia y cultura, no.27(diciembre 2011)に幾つか紹介されています。また、電子化も進められており、進んだところまでは以下のホームページで公開されています。)
(Biblioteca aymara: http://www.ucb.edu.bo/BibliotecaAymara/php/index.php

2.アイマラ語研究者Lucy Therina Briggsの生涯とエピソード

その図書館の資料に目を通しながら、考えていたことを。

アイマラ語をやっている人なら知らない人はいない、Lucy Therina Briggsというアメリカ人の研究者がいました。アイマラ語の方言研究の先駆者であり(先駆者というかその後に誰も出ていない)、かつ口承文学の分析や、様々な資料の発掘と注釈を付した出版に関わった人でもありました。1994年5月23日に死去していて、もちろん直接知り合いようはなかったのですが、私のアイマラ語の先生のJuan de Dios Yapitaがこの人の軌跡を振り返るような記事を執筆していたことを初めて知りました。(Juan de Dios Yapita. 1994. "Lucy Therina Briggs: Primeras y últimas palabras." Presencia literaria, domingo 16 de octubre, pgs.8-9.)

キューバで二言語の環境で育ち、ポルトガル語とフランス語と少しの韓国語を話すに至ったこと、最初は外交官として働きはじめ後に言語学者に転身したことなど、Lucy Briggsの研究者としての背景に新しい発見を見る思いです。

彼女は博士論文をスペイン語に訳し終えて、出版を何とか見届けて、その後比較的すぐに亡くなったのですが、病状が悪化してボリビアを去らないといけなくなった後に彼女から届いた手紙が、このように紹介されています。
Nos escribió, una vez, que sentía que la parte de ella que estaba enferma era la parte americana que hablaba inglés, pero sentía que la parte que hablaba aymara -y castellano- estaba bien de salud todavía. (pg.9)
(ある時我々に届いた手紙にはこうあった。彼女の中で病に侵されている部分はアメリカ人として英語を話す部分で、アイマラ語―とスペイン語―を話す部分はまだ健康であり続けていると感じられる、と。)

そして、彼女の書庫からは墓碑銘にと書き残してあったアイマラ語の断片が発見されます。(1976年9月18日の日付)
Jiwasatakix intix jalsuniw / Mantasinkakim utasakipiniw...
Akax Aymara arut qillqt'ataw / Tuktura Lusi P''iriksaw qillqt'i /
(Inas walichini) sasa.
(我々のために太陽が昇った/入っておいで、これは私たちの家にほかならない……
これはアイマラ語で書かれている/ルーシー・ブリッグス女史が書きつけた
「ひょっとするとこれがいいということになるかもしれない」と言いながら。)

彼女は、植民地期のイエズス会の宣教師で、アイマラ語の文法と辞書を著したLudovico Bertonioに親近感を持っていて、晩年にはBertonioのArte y gramática muy copiosa de la lengua aymara (1603)の注釈つき英訳に取り組んでいたという話です。時代を超えた親近感とつながりのネットワークが生まれていく、その一翼に私も加わりたい。

3.言語学者としての誠実さ・厳密さ

でもそこに一つ重要な問題がある。実際にLucy Briggsが書いたものを読むと、Bertonioにおいてはスペイン語の理屈がアイマラ語に無理に翻訳されることが続いていて、現代から当時の(=本当の)アイマラ語を思考しようとすることなどできないと、Bertonioについてほどんど役立たず扱いがなされているのでもあって、逆に言うと何が役立つのかが実は分かり難かったりもする。

これは一方ではとてもよく分かる。ひたすら外部から導入され続けるアイマラ語の形に対して、アイマラ語の単一言語話者のしゃべり方が持っていた繊細な柔軟性を知っている自分が、それを守ろうと思うのだろう。

でも同時に、植民地期や、非単一言語話者の思考の在り方を、それ自体を様々な背景要因と結びつけながら、それも一つの形の創発であるとしてテクストを分析するようなことだってできるはずではないか。ただしそこを並列で、しかも植民地主義に取り込まれてしまって人々自身の話し方が分からなくならないように仕事を進めていくことは、とても難しい。

でも、いずれにしても、彼女の分析を読んでいて、アイマラ語の表記に関してちょっと自分が間違った方向に行きかけていたことに気付いたり(アイマラ語における母音の長音化の厄介さを認識し直させてもらいました)、彼女の各種の場面でのアイマラ語テクストの分析の全体像をとらえ返さないといけないと改めて思わされたり、ある意味何度目かの<基本に戻る>過程を意識し直すことになりました。少し新しい風に当たりながら、元々の土台を確認して組み立て直していくような。

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